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2011年5月8日日曜日

ボランティア考

この大型連休は、東日本大震災後初のまとまった休暇ということで、被災地には多くのボランティアの方が訪れたようだ。津波や地震で滅茶苦茶になった住まいを片づけるにはどうしてもマンパワーが必要だ。被災地の方も、大いに助かったことだろう。

ボランティアの利益
ボランティア活動を提供する側が受けるベネフィット(利益)とはなんであろう。ボランティア活動をする学生などに話を聞くと、「ありがとうって言ってもらえるのがうれしい」とか、「役に立って良かった」とか、ボランティア活動の対象者(今回の場合は被災された人たち)からの直接的な反応をベネフィットだと考えているようだ。しかし、それは間違いである。人は、誰しも人の役に立ちたいし感謝されたい。まして褒められれば喜びは一塩だろう。だが、万が一、感謝されなければ、その落胆はいかばかりなのか。ともすれば、「やってやったのに恩知らずだ!」などと考えてしまうかもしれない。それでは、せっかく善意から出た行為も後味の悪いものになってしまう。

もし、社会貢献や奉仕という概念とボランティアという概念とが近似であるなら、あくまでも、考え方は「余らば溢せ」なのである。「余らば溢せ」とは、安積開拓の中心人物の一人阿部茂兵衛の生家小野屋の家訓である。与えるのではなく、溢すのだ。溢すという行為は偶発性を内包し、それを享受する側にも必然性を要しない。つまり、提供する側には、「やってあげる」という概念は無いし、提供される側にも、「してもらった」という概念は薄い。そうすると、役に立つという感覚も無ければ、感謝するということもないのである。あくまでも、お互い様、情けは人の為ならず、因果応報である。

この概念を端的に表現しているのが、宮沢賢治の「アメニモマケズ」の「ミンナカラデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という一節である。デクノボーである覚悟が少なからずボランティア活動に従事するのであれば必要なのである。そして、ボランティア活動の究極のベネフィットは、自己成長なのである。

震災支援=ボランティアという価値観の限界
新聞その他の報道では、連休中にボランティアが集中してしまい、手配などの対応が間に合わないとの理由から、活動の受け入れを制限したとの話を耳にする。そもそも、ボランティアという行為は、余剰な何かを不足しているどこかに流し込むことに他ならない。大型連休で労働力に余剰が生じたのだから、不足している被災地に、その労働力が流れ込むのは仕方がない。もちろん、助かりもする。

大型連休=ボランティアという価値観や、震災支援=ボランティアという価値観がこのようなミスマッチを生んだのも事実であると言えよう。この連休中、被災地域の観光地は、2割から多い所で8割の観光客減だったようである。また、風評被害に苦しむ農家も多い。ボランティア活動はその無償性に特徴がある。無償だから誰にでもできるという手軽さがある一方、抜本的な復興にはあまり寄与しない。被災地が抜本的に復興するにはその地域経済が活性化して能動的な動きを取り戻さなくてはならない。そういった意味では、尊い勤労より怠惰な享楽なのである。

中には、仕事そっちのけでボランティア活動に励む者もいると聞く。社会に出て間もない者や、引退間近のベテラン、地方議会議員にでもなろうかという野望の持ち主ならいざ知らず、30代40代の中堅層がその様な行為に走るのはいささか疑問である。30代40代と言えば、仕事では10年選手の中堅どころ、家庭では妻子のいる大黒柱といったところだろう。先にも述べた通り、ボランティアという行為は、余剰な何かを不足しているどこかに流し込むことである。つまり、30代40代には余剰は無いのである。もし、余剰があるのなら、自らの労働や家庭を顧みて反省すべきである。

では、それらの者たちは復興支援に参加できないのか。答えは否。社会の仕組みとして、報酬と責任が表裏をなすことは言うまでもない。そして、報酬を得て責任のある仕事をするのがプロフェッショナルなのである。前出の者たちは、正に脂の乗ったプロ。その立場立場で全力を尽くす事が復興への近道なのである。

例えば、避難所の劣悪な衛生環境を是正できるのは医師や保健師・看護師といったプロであるし、避災者の安心な避難環境を提供出来るのは、建設会社や不動産業者である。プロが責任のある仕事をしてこそ、被災者のQOLを向上させるのである。

もちろん、ボランティアを否定するつもりはない。ボランティアの活躍を期待する場面も多いのが実際だし、段階として、今がその段階だ。ただ、それだけの価値観に囚われてはいけないという警鐘を鳴らすのである。今回、ボランティア活動に従事する学生諸君は、それぞれに課題を見つけ、自分がだんなプロフェッショナルになれば社会に貢献できるのかを考えてほしい。

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