Powered By Blogger

2011年5月26日木曜日

あゝ、御霊櫃峠

昨日になりますが、会津五峠の一つ、御霊櫃峠に登って来ました。車ですが。
天気も良く、新緑がまぶしかったです。


飛行機雲。もやもやっとしてるから、天気崩れるな。

峠の一本道。湖南側から。


峠から猪苗代湖を望む。ものすごい風。なんか、風の谷を腐海から守る風様の様。



サービスショット。

2011年5月21日土曜日

民間賃貸住宅の被災者用住宅への転用に関する考察

東日本大震災後、一時的に体育館や公共施設へ避難されていた方達の借り上げ賃貸住宅や、仮設住宅への移動が始まった。一部識者からは、「新に仮設住宅を建設するのではなく、既存の空き住宅を活用すべき」との声があった。しかし、言うは易しであり、既存住宅の被災者用住宅への活用には多くの課題がある。

1-ⅰ,情報の提供
今回の地震を受け、福島県との防災協定を締結していた同宅地建物取引業協会は、その数日後には、被災者用住宅の提供を会員に募った。初めは書式を問わない物件提供の呼びかけであったが、しばらく経つと、ハトマークサイトへの情報掲載が義務化された。そしてさらに時間を経ると、統一書式でのFAXによる情報提供と形式が簡略化される。なぜ、このように二転三転したのだろう。

震災直後は、混乱もあり先ずは協会としての意思表示をするという意味で十分に評価される取り組みがなされたものと思う。次に、提供された物件の概要を効率的に把握するという意味で、ハトマークサイトへの掲載義務化も評価できる。が、ここに問題を孕んでいるのではと著者は考える。弊社などは、不動産情報サイトアットホームに加盟している為、アットホームサイトからハトマークサイトやレインズ、ヤフー不動産などに情報を掲載する事ができるし、インターネットを使った集客活動が常態化しているので、前出の掲載義務も特に苦ではない。

しかし、高齢の経営者と同年代の社員などで構成される不動産会社では、IT化は愚か、パソコンすら無いということも考えられる。結果、自社でのハトマークサイトへの掲載が不可能であり、協会側もそれを代行するだけの余力も無く、一覧表提出による情報提供に落ち着いたのではないか。このことは、批判されるべきことではないが、普段の準備不足を指摘せざるを得ない。

2-ⅰ,契約
今回の契約に関するスキームは、定期建物賃貸借であり、貸主と福島県の直接契約及び、県からの被災者への転貸である。このため、契約書が3通(貸主・福島県・被災側の自治体)、重要事項説明書2通(福島県・被災側の自治体)請求書2通(貸主・仲介業者)定期賃貸借建物説明書2通といった書類が物件それぞれに提出を求められ、複雑を極めた。通常の業務であれば時間的にも余裕があり、法令で定める書類を作成提示することは当たり前である。が、事態は非常なのである。行政側の杓子定規な対応が歯がゆい。

3-ⅰ,マッチング
1で挙げた通り、詳細な情報の少ない中、借り手(被災者)側と物件とのマッチングにはだいぶ手間取っているようだ。中には、2DKの間取りに7人で入居などという話も聞くし、1Kに3人などはザラだそうだ。もともと、郡山市の空き物件は1Kや1DK、2DKなどに偏重しており、状況の悪化に拍車をかける。私も実際に4人で2DKへ入居という方にもお会いした。また、被災側の行政にしろ、そこに応援に来ている行政官にしろ、避難地域(例えば郡山市)の地理に不案内であるためのミスマッチも起こっている。

大きく挙げるだけでも、このような課題がある。まして、細かく挙げればキリがない。今回、不幸中の幸いだと私が感じるのが、被災された方が陽気で、サバサバした“浜っこ”気質の方たちだということだ。物件の整備が遅れていても、きちんと状況をご説明すると分かってくださるので大変ありがたい。では、これらの課題を抜本的に是正するためには、どのような取り組みを要するのであろうか。

1-ⅱ,支部内賃貸物件のデータベース化
非常時において迅速に必要な対応がとれるのであればそれはそれで良いと思う。しかし、非常時故、思ったとおりに行かないのが世の常である。そこで、支部内の賃貸物件をデータベース化し、一定間隔で内容を更新するというシステムを構築してはどうだろう。細かな手続きなどは後進に譲るとして、ここではその可能性にのみ言及しておく。

2-ⅱ,契約書面の簡略化
この様な場合、借主は国や県などになるものと考えられる。つまり、貸主は複数あっても借主は1ないし2名なのだ。であれば、貸主ごとに対象物件の内容をリスト化し、契約書の頭書部分に替える。約款はいずれ同じなので、1部を添付する。部屋ごとの契約だと、類似の書類を何冊も作成せねばならず、ケアレスミスを誘発する。また、1-ⅰで述べたとおり、データベースが存在すれば、それを重要事項説明書に替えることも可能であると考える。

3-ⅱ,プロボランティアの活用
3-ⅰで述べた通り、斡旋を担当する行政は、普段からこの様な業務に従事しているわけではなく、また借り上げ賃貸住宅が存するエリアについても地理的に不案内である。それゆえのミスマッチや徒労も多いようである。この点を解消する為には、慣れた人材を投入するのが一番である。宅建協会等を通じて普段から賃貸住宅の斡旋等を行っている人材を募って業務に当たらせる。その為の登録制度(応急危険度判定士制度などを参照)を設けるのも一案だと考える。

以上、民間賃貸住宅の被災者用住宅への転用について、実施に関する部分に限って問題点や、その解決のための一案を提示した。しかし、地域コミュニティーや情報の伝達・業者のモラルなどアプローチを変えるとまだまだ問題点は多く存在する。しかし、このような取り組みが成されたことは歴史的評価に値するものである。大規模災害など、無いにこしたことはないが、地震や火山、台風など自然の猛威と日本列島とは切っても切れない関係なのである。今後、今回の取り組みを糧に一段の研究を進め、もしもの時に備えたい。

2011年5月19日木曜日

がんばっぺ!バッジ 完成。


構想3日、画像制作15分。『がんばっぺ!ふくしま』バッジ完成。

知り合いにはアゲルかも。

2011年5月8日日曜日

独りGW



タンポポと磐梯山

土津神社社殿。ご祭神、保科正之公のドラマを実現しよう!という署名簿があった。見てみたいが、原作が無い。浅田次郎先生に書いてほしい。


土津神社亀石。この亀、脱走したことあるんだって。

最初、南向きに置いたら、猪苗代湖に遊びに行ってしまった。爾来、北向きに。。

磐椅神社縁結びの桜。杉の木から桜。。。





ボランティア考

この大型連休は、東日本大震災後初のまとまった休暇ということで、被災地には多くのボランティアの方が訪れたようだ。津波や地震で滅茶苦茶になった住まいを片づけるにはどうしてもマンパワーが必要だ。被災地の方も、大いに助かったことだろう。

ボランティアの利益
ボランティア活動を提供する側が受けるベネフィット(利益)とはなんであろう。ボランティア活動をする学生などに話を聞くと、「ありがとうって言ってもらえるのがうれしい」とか、「役に立って良かった」とか、ボランティア活動の対象者(今回の場合は被災された人たち)からの直接的な反応をベネフィットだと考えているようだ。しかし、それは間違いである。人は、誰しも人の役に立ちたいし感謝されたい。まして褒められれば喜びは一塩だろう。だが、万が一、感謝されなければ、その落胆はいかばかりなのか。ともすれば、「やってやったのに恩知らずだ!」などと考えてしまうかもしれない。それでは、せっかく善意から出た行為も後味の悪いものになってしまう。

もし、社会貢献や奉仕という概念とボランティアという概念とが近似であるなら、あくまでも、考え方は「余らば溢せ」なのである。「余らば溢せ」とは、安積開拓の中心人物の一人阿部茂兵衛の生家小野屋の家訓である。与えるのではなく、溢すのだ。溢すという行為は偶発性を内包し、それを享受する側にも必然性を要しない。つまり、提供する側には、「やってあげる」という概念は無いし、提供される側にも、「してもらった」という概念は薄い。そうすると、役に立つという感覚も無ければ、感謝するということもないのである。あくまでも、お互い様、情けは人の為ならず、因果応報である。

この概念を端的に表現しているのが、宮沢賢治の「アメニモマケズ」の「ミンナカラデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という一節である。デクノボーである覚悟が少なからずボランティア活動に従事するのであれば必要なのである。そして、ボランティア活動の究極のベネフィットは、自己成長なのである。

震災支援=ボランティアという価値観の限界
新聞その他の報道では、連休中にボランティアが集中してしまい、手配などの対応が間に合わないとの理由から、活動の受け入れを制限したとの話を耳にする。そもそも、ボランティアという行為は、余剰な何かを不足しているどこかに流し込むことに他ならない。大型連休で労働力に余剰が生じたのだから、不足している被災地に、その労働力が流れ込むのは仕方がない。もちろん、助かりもする。

大型連休=ボランティアという価値観や、震災支援=ボランティアという価値観がこのようなミスマッチを生んだのも事実であると言えよう。この連休中、被災地域の観光地は、2割から多い所で8割の観光客減だったようである。また、風評被害に苦しむ農家も多い。ボランティア活動はその無償性に特徴がある。無償だから誰にでもできるという手軽さがある一方、抜本的な復興にはあまり寄与しない。被災地が抜本的に復興するにはその地域経済が活性化して能動的な動きを取り戻さなくてはならない。そういった意味では、尊い勤労より怠惰な享楽なのである。

中には、仕事そっちのけでボランティア活動に励む者もいると聞く。社会に出て間もない者や、引退間近のベテラン、地方議会議員にでもなろうかという野望の持ち主ならいざ知らず、30代40代の中堅層がその様な行為に走るのはいささか疑問である。30代40代と言えば、仕事では10年選手の中堅どころ、家庭では妻子のいる大黒柱といったところだろう。先にも述べた通り、ボランティアという行為は、余剰な何かを不足しているどこかに流し込むことである。つまり、30代40代には余剰は無いのである。もし、余剰があるのなら、自らの労働や家庭を顧みて反省すべきである。

では、それらの者たちは復興支援に参加できないのか。答えは否。社会の仕組みとして、報酬と責任が表裏をなすことは言うまでもない。そして、報酬を得て責任のある仕事をするのがプロフェッショナルなのである。前出の者たちは、正に脂の乗ったプロ。その立場立場で全力を尽くす事が復興への近道なのである。

例えば、避難所の劣悪な衛生環境を是正できるのは医師や保健師・看護師といったプロであるし、避災者の安心な避難環境を提供出来るのは、建設会社や不動産業者である。プロが責任のある仕事をしてこそ、被災者のQOLを向上させるのである。

もちろん、ボランティアを否定するつもりはない。ボランティアの活躍を期待する場面も多いのが実際だし、段階として、今がその段階だ。ただ、それだけの価値観に囚われてはいけないという警鐘を鳴らすのである。今回、ボランティア活動に従事する学生諸君は、それぞれに課題を見つけ、自分がだんなプロフェッショナルになれば社会に貢献できるのかを考えてほしい。