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2015年10月22日木曜日

恵比寿講



10月は和名で「神無月」。土地の神様が縁を結びに出雲大社へ出張してしまいます。とは言え、みんな行ってしまうと無用心ということで、留守番の神様もいるようです。竈の神様や道祖神、そして恵比寿様は留守番役とのこと。

10月にお留守番の恵比寿様のお祭りが恵比寿講。土地によっては11月のところもあるとか。恵比寿様は、七福神の中で唯一日本出身の神様。商売繁盛のご利益でも知られます。

子供の頃、神棚に鮒やカブ(根菜)、お財布なんかをお供えしたことを思い出します。当時は生きた鮒を丼なんかに入れてお供えしたので、朝になると跳ねた鮒が可哀想な姿になっていることもシバシバ。

そんなことを思い出しつつ、恵比寿講をしてみました。最近では生きた鮒も売っていないし、可哀想な面もあるので、代わりにたい焼きをお供えしてみました。もちろん、お金に目ざとい我が家はしっかりとお財布も。さて、ご利益はいかに!?

2015年10月8日木曜日

本質はどこにあるのでしょうか。



来月で4歳になる息子。本来なら去年、七五三(3才)のお祝いをするはずでしたが、娘が生まれたりでやれずじまい。そこで昨日、お参りだけでもと開成山大神宮へ行ってまいりました。最近では男の子が3才と5才、女の子は3才と7才にお祝いするのだとか。写真屋さんのマーケティングが見え隠れします。

さて、子供のお祝いのあとは大人の直会。6月に出張で訪れた佐渡・天領盃酒造の純米酒を木材利用ポイントでゲットした錫タンブラーで。それと同じくゲットのローストビーフ(残り物(・・;))。この天領盃酒造さん、老舗が多いイメージのある蔵元の中でも珍しく、1983年の創立。

そして、日本酒の世界は誤った宣伝のお蔭で、手造りは美味しい、機械造りは駄目と思われ、それに乗った一部の酒蔵のお蔭で無責任に広がって、あたかも「銘酒」とは手造りの酒というが如くイメージで言われています。」さらに「1,出来るだけ触らない。きれいな空気、おいしい水、良く精米した好適米。2,厳しい温度管理、醗酵を見極める技術の目と鼻を持っている。3,手造りも機械造りもなく、微生物が造る。~天領盃酒造、HPより~

と仰る。お酒の作り方については門外漢ですので、飲むだけにしたいと思いますが、蔵元の思いには大いに共感するところです。

木造住宅の世界も「手刻み=丁寧な仕事=職人技」みたいなことを吹聴する会社や人たちがいます。刻み加工自体は、精度が求められるものですので、どちらかというと機械加工の方が向きますし、職人の体への負担を含めて軽減されるものと思います。一方、目利きや墨付けといった感覚や経験が重要な位置を占める作業は職人さんに頑張ってもらう。そういうメリハリが大工型工務店が生き残っていく上で重要になってくるのではと思います。

弊社では昭和62年にプレカット加工機械を導入。独自の用法で活用し、職人技と機械の相乗効果を最大化すべく取り組んできました。

今後も、物事の本質はどこにあるのか。そして、「住みてにも造り手にもやさしい家づくり」という視点を大事に本物の家づくりに取り組んでいきたいと思っています。

2015年10月1日木曜日

リビング階段の効能



9月は1回も更新せず。誠に遺憾でございます。今後は定期的に更新できるよう善処いたします。って、政治家みたいな書き出しになってしまいました。

今回は、リビング階段について最近感じたことを書いてみたいと思います。リビング階段を採用する理由として、思春期のお子さんがサッと自室に入ってしまうのを防ぐためにというのが一般的。それも一理ありますが、子育て世代にとってのそれはリアルなようなそうでないような理由ですね。

さて、去年11月に生まれた娘ももうすぐ1才。ハイハイはしないけど、お尻でズリズリと移動しています。我が家のリビングには目立った家具もないのでつかまり立ちもせず、日々ズリズリ(・・;)先日、かみさんから画像添付のLINEが。開くと階段の下で仲良く並ぶ兄弟の写真です。

シチュエーションを聞くと2階でカミさんが洗濯物を干している間、2人が階段の下で待ち受けていたとのこと。独立した存在だと、ただ通過するだけになってしまう階段ですが、リビングにあることによって、生活の一部に取り込める空間になるんだなと妙に納得。

そういえば、私自身も、ソファーに息子がのびていたりすると、座れなかったりするので階段に座ったりしますし、階段を挟んで会話をしたりもごく当たり前に日常化しています。「リビングを通らないと自室に入れない」のも大切な機能ですが、家族のコミュニケーションの一部に階段が入り込んでくるのって、本当に無駄のないスペースにそれがなっている証のような気がします。

10年以上も住宅の仕事をしていても、新しい発見というのはあるものだなぁと思います。人間、一生勉強ですね。