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2013年2月13日水曜日

ツァラトゥストラ

読書感想文(●´ω`●)ゞてへぺろ


「神は死んだ!」の本である。正直に言って、本書全体の1/3も理解できてない気がするけど。キリスト教に対する強烈なアンチテーゼだが、その実「人間だったんだよ。神なんて。人間と「私」の貧弱なひと切れに過ぎないのさ!」「創造し、意欲し、評価する「私」こそあらゆる物事の尺度であり価値なのだ。」と、人間を積極的に肯定する一大人間賛歌なのだ。これに対してではないが、ゲーテは、宗教改革者の立場を批判して「人間はひたすらキリストの功績を認識し、彼の恩寵にあずかるよう努力すべきであり、そうすればそのまま善行に通じることになる。」と解説している。仏教的に言うと他力本願ってとこ。他力が悪いわけではないが、ここまで依存しちゃうと気持ちが悪い。

さて、主人公の名前でもあり本書のタイトルでもある「ツァラトゥストラ(Zarathustra)」とは、何なのだろう?ツァラトゥストラは、Zarathustraのドイツ語読み。これを英語読みすると、ゾロアスターとなる。ゾロアスター教なんて宗教を耳にしたことはないだろうか。別名を拝火教とも言い、我が国におけるお盆の迎え火や送り火などは、この影響だと言われる。その開祖の名を借りた物語なのだが、ゾロアスター教の教義とは一切関係がない。むしろ内容は仏教的。ニーチェ的には、ツァラトゥストラ=東洋みたいな位置づけだったんだろうね。

 「この地上で、これまでの最大に罪はなんだったか?それは、「ここで笑っている者は不幸である!」と言ったイエスの言葉ではないか?あの人は、この地上で自分で笑う理由を見つけることができなかったのではないか?だとすれば、探すのが下手だったんだ。子どもならこの地上で笑う理由をいろいろ見つけるのだが。あの人には愛がたりなかった。愛が十分だったら笑う俺たちのことも愛してくれただろう!しかし、あの人は俺たちを憎み、馬鹿にした。俺たちが泣き喚き歯ぎしりすることをあの人は予告した。相手を愛せないなら、すぐ呪わなければならないのか?呪うなんて悪趣味ではないだろうか。だが、あの絶対者はそうしたのだ。あの人は賤民の出だった。そして、あの人自身に愛がたりなかっただけだ。愛が十分だったら、自分が愛されないからといってあんなに腹を立てることもなかっただろう。大きな愛は、愛をほしがらない。~第4部・高級な人間についてより~」

本書中のニーチェによるキリスト批判のハイライト。端的に言ってしまうと、(イエスは)育ちが悪いから、笑えないし僻みっぽい。そんなヤツの言うこと聞くことないよ。それに俺(ツァラトゥストラ)は気づいたのだ!だから俺の中で神は死んだ!もっと笑おう。ちっぽけな理性なんかよりカラダと向き合おう!って感じ。資本主義や民主主義は、キリスト教的価値観の上に成り立っているから、最近の経済や政治がオカシイのも、実はこんなところに原因があったりして。ちっぽけな精神よりカラダを!苦悩より笑いを!西洋より東洋を!って本でした。



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